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[C153] 質問です

はじめまして。
習焼神社は10年くらい前まで 野明神社という 名前だった気がするのですが。。
私の記憶違いかもしれませんが。
12v電源さんなら なにかご存知かと思ってコメントさせていただきました。

[C154] Re: 質問です

こちらこそ、はじめまして。

>習焼神社は10年くらい前まで 野明神社という 名前だった気がするのですが

手持ちの資料が見あたらず、詳しく調べることができなかったのですが、習焼神社が過去、「野明神社」とも呼ばれていた事は確かなようです。
「野明」は、習焼神社の所在地の地名になっていますので、地名で呼ばれていたと考えることもできます。

こちらのサイトによると、(→http://kamnavi.jp/en/sinano/narayaki.htm
<当社(習焼神社)は野明明神、野炎明神とも云う。『諏訪大明神神画詞』によれば、「大宮の前をへて北の鳥居の外、妙山の前の鼻より野火を放て野焼の社に至る。>

と、ありました。
「野明」「野焼け」「習焼」、と、火に関わる名称は共通しております。
上記サイトにあるように、野焼きの風習がそのまま名称となったのかもしれません。
(調査不足で、確実な事は分からないのですけども)

土地の由緒が徐々に分からなくなっていく中、昔の地名を残しておく、そして覚えておくのは、とても大切な事だと思いますよー。
  • 2009-03-15
  • 12v電源
  • URL
  • 編集

[C162] ありがとうございました!

以前に質問したものです。
色々調べていただいて、丁寧に答えてくださってありがとうございます。
野明は火に由来してたんですね。
勉強になりました。
  • 2009-05-17
  • NOA
  • URL
  • 編集

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【珍所:其の48 諏訪3回目(2日目②)】

 そんなこんなで、習焼(ならやき)神社に着きました。
 ちょうど正午頃で、境内には一組の親子しかいない。


 県道に面した町中の神社だけあって、境内は人の手できれいに清められてました。
 習焼神社の主祭神は、洲羽若彦命(すわわかひこのみこと・建御名方神の第三御子神)で、諏訪大社上社の摂社のひとつであり、真志野郷の産土神。
 神社の由緒書きによると……
 洲羽若彦命はこの地(真志野)の妃神の元にやって来たが、後に、一門一族を引き連れて遠州地方へ鬼退治(開拓)に行ってしまった。
 妃神は祭政の中心であったため夫に同行することができず、この地に留まり、夫の武運隆盛を祈っていたとのこと。
 
 ここでも遠州が出てきますね。
 前回は、洩矢一族が遠州からやって来たという説をご紹介しましたが、今度は建御名方神の御子神が遠州地方へ赴いている。

suwa03_28.jpg
 境内にあった「手斧石」
オノを打ち込んだ跡が残ると伝えられる石。
かつて神社に隣接する源太夫屋敷に居住していた「野明神主」と「真志野神主」が御柱の冠落としを巡って意見の相違から争いごとになった。
その際に打ち込まれた手オノの跡だという。

境内の立て札より



鳥居の側に立っていた看板「習焼神社周辺マップ」
左下の方に「流鏑馬社・真弓塚」が載っています。

 真弓塚とは、七木のひとつ、「真弓湛」の跡とされている場所です。
 これを見たいがために、習焼神社への道を引き返さなかった訳ですよ。
 たぶん同行者がいたら、相手の顔色をうかがって途中で諦めていたと思います。


 県道から民家の並ぶ道を入っていくと、小さな祠が。

 祠に比べて、鳥居につけられた紙垂の立派なこと。

 小祠にあった由緒書きによると、
流鏑馬社 真弓湛木・真弓塚
御祭神・伊豆速雄神(いずはやおのかみ)
(洲羽若彦命の兄神、タケミナカタの第二御子神)

習焼神社の例祭は諏訪神社(諏訪大社)上社の例大祭(御頭祭/酉の祭)の七日後、辰の日に、野焼きとともにここ流鏑馬社周辺の馬場で小笠懸・射礼を行うことが通例であった。

(中略)

◎「真弓湛木」は当社前の田の中にあったと伝えられる。諏訪神社の「上社物忌令」の中の七木七石の中に真弓湛木が記されている。御社宮司社の依り憑く斎場として、上社の重要な祭祀場所であった。
流鏑馬社の西続きの地を「真弓塚」ともいう。
 こういう場所で、神使が樹木に土着神であるミシャグチを降ろしたり上げたりしていたのでしょうか。
 今となっては、もう、想像するしかありませんけども。

  ◇

 この後、諏訪の上社本宮、峯湛、所政社……と、大急ぎで廻り、上社前宮の鳥居の前に立った瞬間、ふと気付く。

(あれ、このままじゃ、帰りのバスに間に合わない)

 その時、私の脳裏に、マリー・アントワネットの名言が浮かぶ。
<パンがなければお菓子を食べれば良いのよ>

「歩いてダメなら、タクシーを呼べば良いのよ」

 バスチーユが燃えようと、私はタクシーに乗る!乗ってやる!!
 と、訳のわからない使命感に燃え、タクシーを呼びつけてやりました。
 小市民にも程があります。

  ◇

suwa03_31.jpg
峯湛のイヌザクラ

suwa03_32.jpg
ぽつんと水神。

suwa03_33.jpg
近付いてみる。


suwa03_34.jpg
春だった

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3件のコメント

[C153] 質問です

はじめまして。
習焼神社は10年くらい前まで 野明神社という 名前だった気がするのですが。。
私の記憶違いかもしれませんが。
12v電源さんなら なにかご存知かと思ってコメントさせていただきました。

[C154] Re: 質問です

こちらこそ、はじめまして。

>習焼神社は10年くらい前まで 野明神社という 名前だった気がするのですが

手持ちの資料が見あたらず、詳しく調べることができなかったのですが、習焼神社が過去、「野明神社」とも呼ばれていた事は確かなようです。
「野明」は、習焼神社の所在地の地名になっていますので、地名で呼ばれていたと考えることもできます。

こちらのサイトによると、(→http://kamnavi.jp/en/sinano/narayaki.htm
<当社(習焼神社)は野明明神、野炎明神とも云う。『諏訪大明神神画詞』によれば、「大宮の前をへて北の鳥居の外、妙山の前の鼻より野火を放て野焼の社に至る。>

と、ありました。
「野明」「野焼け」「習焼」、と、火に関わる名称は共通しております。
上記サイトにあるように、野焼きの風習がそのまま名称となったのかもしれません。
(調査不足で、確実な事は分からないのですけども)

土地の由緒が徐々に分からなくなっていく中、昔の地名を残しておく、そして覚えておくのは、とても大切な事だと思いますよー。
  • 2009-03-15
  • 12v電源
  • URL
  • 編集

[C162] ありがとうございました!

以前に質問したものです。
色々調べていただいて、丁寧に答えてくださってありがとうございます。
野明は火に由来してたんですね。
勉強になりました。
  • 2009-05-17
  • NOA
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