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【珍所:其の21 諏訪探訪1(基礎編)】

 ここ数年、ずっと行きたいと思っていた、長野県は諏訪へ行ってまいりました。

 女1人旅なんで、外づらは……いかにも、「仕事の出張で、諏訪までやって来た」会社員っぽく擬態しておったわけですが、あまりの面白さに、途中からどうでも良くなりました。
……良くないよ。

  ◇

 さて。
 諏訪大社は、日本でも特殊な……と言うべきか、非常に原始的な信仰が残っているで有名です。

 7年に1度の奇祭「おん柱」で有名な諏訪大社は、諏訪湖を挟んで「上社」「下社」に分かれます。

 更に、上社は「本宮」と「前宮」。下社は「秋宮」と「春宮」に分かれます。つまり、「諏訪大社」とは、この4社の総称になります。

 地図を見て解るように、上社と下社は、かなりの距離があります。(上社前宮は、諏訪市でなく茅野市に入っている)
 今でこそ「諏訪大社」で統一しているものの、中世頃は上社と下社の仲は険悪極まりなく、互いに攻めたり攻め込んだりした間柄だったりしました。
 実際に行ってみると、町も神社の雰囲気もかなり違うなぁと思いました。
 あくまでも個人的に感じたところを述べると、下社の方が、より明治以後の神道の影響を受けている感じがしました。
 上社近辺の方が、より古い形を残している感じです。

  ◇

『古事記』によると、諏訪大社の祭神である建御名方神(タケミナカタ)は、天孫系の葦原中国平定時において、建御雷神(タケミカヅチ)に破れたため、信濃の諏訪まで逃げて来、この地に留まったとされています。
(『日本書紀』には無い話なので、この神話の真偽も諸説ある)

 さて、諏訪まで逃げてきた建御名方神は、次に、諏訪に住んでいた先住民族と戦うことになる。
 この先住民族は、樹や石に憑依する「ミシャグチ(ミシャグジ・御左口)神」を信仰する「モレヤ(洩矢)神」を筆頭とする軍勢だったらしい。
 建御名方神とモレヤ神は天竜川を挟んで戦い、結果、建御名方神は勝利を納める。

 勝った建御名方神は、モレヤ神と共存の道を選ぶ。
 建御名方神の子孫が、代々「大祝(おおほうり)」と呼ばれる生神の地位に就き、モレヤ神の子孫は「守矢(モリヤ)」と名前を変え、最高位の神官である「神長官」の位に就き、重要な祭礼を取り仕切っていくことになる。
 つまり諏訪の祭礼は、元々諏訪にあった土着の方法で行われていくことになるわけです。

 ちなみに、諏訪大社上社の祭神は、「建御名方神」になっているけども、どうも「便宜上」という感じがしました。
 恐らく、上社の御神体は、本来、生神「大祝」であり、神長官守矢氏によって土着神ミシャグチ神を憑依させられた存在だったからでしょう。
 大祝は建御名方神の子孫ということにはなっているものの、存在自体は、ミシャグチ神としての性格の方が濃い訳です。

  ◇

 ここで、大祝のことを少し。

 大祝は、諏訪大社の特殊性を体現するような存在です。(と言っても、私もあまりよく解ってないですが)
 読み方は、参考資料などによると「おおほうり」とルビが打ってあるんですが、神長官守矢資料館の方は「おーぉほり」というような発音で呼んでらっしゃいました。

 上社の大祝は、建御名方神の子孫であるとされる(※)神氏の少年(大体8歳くらい)から選出され、選ばれた少年を神長官守矢氏が秘術で生神にし、諏訪大社上社の御神体としました。

※…これには諸説あり、建御名方神子孫説、信濃国造金刺氏子孫説、清和源氏系説、桓武天皇子孫説などがあるが、正確なことは分かっていない。

 上社の前宮は、この大祝が住んでいた場所で、様々な神事の中心地です。

▲諏訪大社上社・前宮
(今年一番の大寒波のため、人っ子ひとりいません。あ、トンビはいました)

 ちなみに、大祝の制度は、明治まで続いていたそうです。

 田中基氏「穴巣始と外来魂(みたまほかい)」(『諏訪信仰の発生と展開』永井出版企画/所収)によると、
 諏訪神権政治の中枢・受肉の人間神・大祝は神氏族の童子より選ばれて、神殿において30日の精進をする。最初の10日が外清浄、次の10日が内清浄、最後の10日が己身清浄である。
 その10日ごとに火と衣服、器物、畳ら全てを交替する。
 即位(職位)の当日、神殿の西にあるカエデの宮の三本の樹の下、烏帽子状の小岩坐に葦を敷いて坐し、お歯黒などの成人戒の化粧をほどこされた後、神長守矢氏より狩衣を着せられる。この時、童子は神になる。
そして十三社に詣で土地神にアイサツを済ませた後に大祝の魂床である 内御魂殿に入って「我身は素に大明神の御正躰と罷成候ひぬ、清器申給はりて定かなり、今よりしては不浄なる事あるべからず云々」(『旧記』)と宣言する。

(中略)

 この中核をなす、人間ではないシュールな生き物=神である少年の一挙手、一投足、そして一挙言が、それを底部で支えている農耕民の生業に作用をおよぼし、その一挙手、一投足が諏訪祭政体の宇宙を動かし、乱し、その運行を左右する、という転倒した世界観にもとづいて、この神それ自体である少年が聖なる器であることを保ち、おそらくはtranceにかかりやすい状態を保つため、様々な禁忌が枷られている。
「当社大祝ハ此レヲ神躰トシテ崇敬異他ノ重職ナリ、仍当職ノ間ハ群内ヲ出ル事ナシ、況他国ヲヤ、潔斎厳重ニシテカツテ人馬ノ血肉ニ触レス……」(『画詞』)
 すなわち境を越すことの重禁、戦斗にまみえることの禁忌を始め、百日間日光を見ることのタブー、土地に足を触れることのタブー、性交することのタブー、そして死すことのタブーなどの重禁にとりまかれて、ほぼ人間的行為を否定され、厳冬期には守屋山脚下・神原(ごうばら)の御室という茅でふいた竪穴斎屋にほぼ三ヶ月にわたって幽閉され、春があけると、季節の循環に呼応して五月初旬の三日間の押立御狩神事、六月下旬三日間の御作田ノ狩押立神事、七月下旬三日間の御射山御狩神事、そして九月下旬の秋穂狩猟神事と、四ヶ度の狩猟祭宴において八ヶ岳西南麓の大扇状傾斜面・神野に舞台を移し、山中の穂屋や円形にみえる穂屋に籠もっている。
 一年間の大祝の行為を大まかに追ってみると、以外にも主要な行為は、植物でふかれた斎屋の暗闇の中にじっと籠もっていることのように思われる。

 現代なら確実に、児童虐待とか言われてます。
(それ以前に、人身御供の可能性も指摘されている訳ですが)

 子供を生神とするところや、土地に足を触れることのタブー、第二次性徴のタブーなんかは、ネパールの少女神クマリを彷彿とさせます。

 少年を「大祝」という神にする秘法……つまり、少年にミシャグチ神を憑依させる方法は、代々、神長官守矢氏の直系に一子相伝の口移しで伝えられたそうで、明治五年に世襲神官の制が廃止され、具体的な神事の方法は絶えてしまったそうです。
(守矢早苗氏「守矢神長家のお話」『神長官守矢資料館のしおり』所収)


▲前宮の「御室(みむろ)社」
大祝がミシャグチ神(憑依する祟神)とソソウ神(蛇神)と共に、冬の三ヶ月間籠もる「御室」の跡。


 ミシャグチ神の事は、様々な書籍やサイトで論じられているので、そちらも参考にして頂きたいです。
……いやもう、複雑すぎて、私にも何がなんだか。


 とまぁ、そんなこんなで、諏訪へ行こうと思ったわけです。


<参考文献>
・古部民俗研究会『日本原初考 諏訪信仰の発生と展開』永井出版企画
・三輪磐根『諏訪大社』学生社
・『神長官守矢資料館のしおり』茅野市神長官守矢資料館
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