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【珍所其の55  諏訪4回目(1)】

 もはや恒例となりましたが……少し体調を崩してしまい、ブログの更新が遅れてしまいました。スイマセン。
 医者から、「とりあえず、毎日15分のジョギングを」と言われましたが、大方の予想通り、全く実行に移せてません。スイマセン。
 同じく「夜は11時に就寝しなさい」と言われましたが(以下略)スイマセン。

 謝るだけが人生だ。

  ◇

【ここから本文】
 さるシルバーウィーク、フラリと諏訪へ行ってきました。
 今回は諏訪だけでなく、秘境駅を数多く有する飯田線に乗り、天竜川に沿って南下……昼神温泉近くの阿智神社へ行ってみようと思っていたのです。
 思っていたのですが。
 初日に体調を崩してしまい、結局、諏訪に1泊しただけで帰ってきてしまいました。
 なんというヘタレっぷり。

  ◇

 さて。
「諏訪」と言っても、最近の行動範囲は、“諏訪市内”が2割、“茅野市内”が8割を占めています。
 “諏訪市内”ほど街化されてないのと、諏訪上社前宮を有しているからか、諏訪信仰の近世以前の姿が感じられて、町中を歩いているだけでも面白い。
 しかも、どこにいても八ヶ岳が見える。
 朝・昼・晩と太陽の高度によって、色を刻々と変化させる八ヶ岳がどこにいても拝める訳ですよ。
 いつもの生駒山(※)感覚で振り返ると、遙かな高みに八ヶ岳が。

 おおお、高いなあ!尖ってるなあ!高いなあ!

(テンションが上がると、形容詞の語彙量が激減)

suwa_4_02.jpg
 山の気配に何度も振り返る。

※642m。ちなみに八ヶ岳は最高峰「赤岳」で2,899m。

 たぶん富士山なんて間近で見てしまったら、血圧上がりすぎて切れてしまうと思います。

  ◇

 前回は途中で道に迷ってたどり着けなかった大祝(おおほうり)邸に、今回は何とかして行ってみようと頑張ってきました。
 諏訪の最高権力者であり、生神でもある大祝が、近年まで居住していた館跡です。
 県道沿いにある「権祝(ごんのほうり)邸」は目立つので、誰でも気づくのですが、大祝邸は村の中へ入っていかなければならないので、今イチよく分からない。

 神長官守矢史料館で道を尋ねたところ、市もそろそろきちんと大祝邸を(観光名所として)整備しようとしているそうですが、大祝の血縁の方が遠方に出て行ってしまっているらしく、なかなか進まない……ような事を仰っていました。

 そんなこんなで。歩くこと15分。
 神長官守矢史料館で道を訊き、しかもGPSまで携えているのに、やっぱり目的地に着くことができない。
 終いには、自分がどちらから来たかも分からなくなってくる。
 ホトホト歩いていると、石仏がゾロリと並ぶ場所に出ました。
 ちょうど近くの呉服屋から上品な老婦人が出てきたのを捕まえ、大祝邸の場所を訊いてみる。
 老婦人は今、私が歩いてきた道を指さし、

「大祝様やったら、この道を真っ直ぐ行って、突き当たった所を右に曲がれば良いわ」
 
 何気ない一言ではありますが、老婦人が大祝に「様」を付けて呼んでいる事に、何となく嬉しくなってしまいました。
 今は誰も居なくなってしまった屋敷ですが、つい近年(※)までそこに大祝が住んでいて、地元の人の崇敬を集めていたんだなぁという感慨が。

※…最後の大祝・諏方弘氏は2002年に亡くなられており、大祝邸は相続人不在となった模様。

(参考)諏訪大社と諏訪神社「最後の大祝」http://genjin.cool.ne.jp/sanpo/saigo.htm

 教えて頂いた通りに歩いていくと……ありました。

suwa_4_04.jpg
大祝邸跡

suwa_4_05.jpg
「立入禁止」のロープが張られています。

大祝邸の説明看板には、下記のように書かれている。
大祝屋敷
大祝邸は諏訪明神信仰の遺跡として諏訪神社の歴史上、欠く事のできない大切な場所である。
其の昔、桓武天皇の皇子有員親王が神孫の大祝として即位してより歴代の大祝が代々祭政の長として其の職を継承してきた。
其の居館を神殿(ごうどの)と呼び始め前宮の地に在り 降って織田信長の侵攻するや諏訪神社と共に兵火にかかり焼失した。
天正の頃此の所宮田渡(みやたど)に移り、宮川を外壕として四周に堀を廻らし武家と神殿を兼ねた宏荘な邸宅を営み中興の大祝諏方頼廣が居住した。
今は当時の建物の多くは衰退して唯、総門に昔を偲ぶのみ、庭内に小社及び大銀杏(市文化財)日光の紅葉・高遠の桜等があり大祝頼武(霞朝)の句碑がある。
此の時から藩主は諏訪氏、大祝は諏方氏を名のった。

廃墟になりきっていない、廃屋ですねえ。まだ人の住んでいた名残があるというか。
これから時間をかけて、本当の廃墟になってしまうのか。
それとも整備されて、冷たい箱物になってしまうのか。

……と、まぁ。そんなナイーブな事は考えない。
全ては成るように。

suwa_4_06.jpg
諏訪上社の神紋「三本梶」がついた蔵。
これも寂しい。

suwa_4_07.jpg
敷地内の祠。
横には子供用の遊具が。

諏訪の小祠は、敷地内に遊具が置かれているところが結構ありますね。
子供がいる場所は、安全だろうと思うのです。
子供を脅かすような、恐ろしい物はそこにはいないのだろう。

  ◇

suwa_4_08.jpg
水稲!

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